マインドフルネスが続かない人へ。日本版「今ここ」の実践法
マインドフルネスの瞑想アプリをダウンロードして、ガイド付き瞑想を3日やって、気づいたらアプリを開かなくなっていた——。こうした経験を持つ人は少なくないでしょう。
マインドフルネスが続かない理由は、怠惰ではありません。構造的な問題が2つあります。
マインドフルネスが続かない構造的な理由
問題1:「わざわざ感」 — 瞑想は日本人の多くにとって「特別な行為」です。座禅を組んで、目を閉じて、呼吸に集中する——これは日常の延長線上にはなく、わざわざ時間を取って取り組む行為に分類されます。「わざわざやること」は、忙しい日にまっ先にスキップされます。
問題2:「評価される感覚」 — 瞑想中に雑念が浮かぶと、「集中できなかった」「うまくできなかった」と感じる人が多い。正解のないはずの行為に、無意識に点数をつけているのです。この評価感覚があるかぎり、瞑想は「リラックスの時間」ではなく「もう一つのタスク」になってしまいます。
マインドフルネスの「日本語訳」がすでにある
マインドフルネスは英語で "being present" ——「今ここにいること」を意識する実践です。実は、日本の神道にはほぼ同じ概念がすでに存在します。
中今(なかいま)とは、「過去と未来の真ん中にある、今この瞬間」を指す神道の言葉です。過去を悔やまない。未来を心配しない。今、この瞬間を十全に生きる。マインドフルネスの "be present" と、ほぼ同義です。
しかし大きな違いが一つあります。
- 西洋的マインドフルネス:自分一人で意識を制御する(能動的)。集中できなかった=失敗
- 神道の中今:大きな流れの中に自分がいると感じる(受動的)。失敗という概念がない
つまり、中今は「うまくやる」必要がないマインドフルネスです。
日本の暮らしに埋め込まれたマインドフルネス
日本人は普段の暮らしの中で、すでにマインドフルネスに相当する行為を無意識にたくさん行っています。
- 「いただきます」と手を合わせる(2秒)— 感謝の瞑想
- 神社の前で二拝二拍手一拝(10秒)— 呼吸に意識を向ける瞑想
- お風呂にゆっくり浸かる(10分)— ボディスキャン瞑想
- 朝、神棚に水をお供えする(1分)— 朝のルーティン瞑想
これらの行為を「マインドフルネスだ」と意識している人はほとんどいません。しかし、効果は同等です。鍵は、これらを「意識的にやり直す」こと。無意識の習慣を、一瞬だけ「意識的な行為」に変えるだけで、中今の実践になります。
瞑想ではなく「おまいり」で整える
マインドフルネスの文脈では「朝の瞑想」が推奨されることが多いのですが、私たちは「朝のおまいり」を提案しています。
- 瞑想: 自分の意志で意識を制御する → タスク化しやすい
- おまいり: 手を合わせて「お願いします」と思うだけ → 判定基準がない
おまいりの最大の強みは、「うまくやろう」という意識が入り込む余地がないことです。
- 朝、スマホを手に取る
- 最初にSNSではなく、神棚アプリを開く
- お供え物を置く
- 手を合わせるか、目を閉じる
- 「今日もよろしくお願いします」と思う
- 終わり(所要時間:約60秒)
「文化的な根っこ」がある安心感
マインドフルネスが「借りてきた文化」であるのに対して、おまいりは日本の暮らしの中に何百年も存在してきた行為です。祖父母の世代がやっていたこと。初詣で自然にやっていること。それを毎日の習慣にするだけ。
この「根っこがある」という感覚は、習慣を続ける上で想像以上に大きな力を持ちます。「なぜこれをやるのか」という問いに対して、理屈ではなく「ずっとそうしてきたから」という答えがある。それだけで十分なのです。
まとめ
- マインドフルネスが続かないのは「わざわざ感」と「評価される感覚」のせい
- 神道の「中今」はマインドフルネスとほぼ同じ概念だが、「うまくやる」必要がない
- 日本の暮らしにはすでにマインドフルネスと同等の行為が埋め込まれている
- 瞑想は「自分で整える」技術。おまいりは「整えてもらう」時間。後者のほうが楽で、続く
- 文化的な根っこがあることが、習慣を支える見えない力になる
神棚アプリ
神棚アプリは、マインドフルネスに挫折した方にこそ使ってほしいアプリです。瞑想ではなく、おまいり。「自分で整える」ではなく、「整えてもらう」。中今の静けさを、朝の1分で体験してみてください。